ここに来てくださって、ありがとうございます。
物語を読むとき、わたしはいつも「問い」を抱きます。
ただ受け取るだけでなく、登場人物の選択や沈黙に、わたし自身の思いをそっと重ねるように。
ページを閉じたあと、なぜあの場面で涙がこぼれたのか。
主人公の言葉に、どうして心が揺れたのか。
その余韻に生まれる問いこそが、わたしにとっての読書の火種なのです。
この小さな文章では、「問いを返す」という読書の在り方を、静かに編んでいきたいと思います。
答えのない対話を、ともに始めてみませんか。
目次
わたしは、物語に「問い」を返したい
物語というものは、ただ語られるだけでは終わらないものだと、わたしは思っています。
ひとつの物語が誰かに読まれ、心を動かしたとき…
そこに静かな「対話」が生まれるからです。
たとえば、ある主人公が決断を下す場面。
それがどんなに美しく描かれていたとしても、わたしはふと立ち止まってしまうことがあります。
「もし、わたしだったらどうするだろう?」
「この選択は、本当に正しさに向かっているのだろうか?」
その問いは、決して物語の流れを否定するものではありません。
むしろ、深く関わりたいという小さな祈りのようなもの。
物語のなかで起きたことを、ただ受け取るだけでなく。
そこに返す言葉を、問いというかたちで差し出す。
そんな読書のあり方が、わたしにとってとても自然で、大切な姿勢になっているのです。
読んでいて心が止まる場面、それが火種
読み進めていたページで、ふと、手が止まる瞬間があります。
それは、物語の展開が急だったからでも、難解な表現があったからでもなく、
心のどこかに、小さな波紋が走ったから。
まるで、水面に一滴の雫が落ちたような感覚。
気づけば、文章を繰り返し読み返してしまう。
その場面に書かれているのは、たった一つの出来事かもしれません。
でも、その裏に何かがある、
そう思わせる「気配」が、そこにはあるのです。
その止まった感覚こそが、わたしにとっての火種です。
物語は流れていきますが、わたしの中にはひとつの「問い」が残される。
「なぜ、わたしはここで動けなくなったのだろう?」
その問いに向き合うことが、物語との静かな対話のはじまりなのかもしれません。
主人公の選択に、わたしは何を感じた?
物語の中で、主人公が大きな選択をする場面があります。
それは時に勇敢で、時に迷いに満ちていて
けれど、必ず何かが動いている。
その選択を、わたしはただ眺めるだけではいられません。
「うん、それでよかったんだ」と頷けるときもあれば、
「どうして、あの道を選んでしまったの?」と、胸が締めつけられることもあります。
そこにあるのは、正解かどうかではないのです。
その選択を通して、わたし自身が何を感じたか。
それこそが、読書におけるわたしの物語の始まりなのだと思います。
物語に描かれた出来事を、自分の心に写してみる。
そうすることで、主人公という他者との境界が、すこしずつ溶けていく。
「もし、わたしなら?」
そんな問いが浮かんだ瞬間、物語はページの中から、わたしの内側へと静かに流れ込んでくるのです。
なぜ涙が出たのか?読書の余韻にある問い
物語を読み終えたあと、不意に涙がにじむことがあります。
悲しい場面ではなかったはずなのに、胸の奥が温かくなったり、
逆に、言葉にできないさびしさが静かに滲んだりして。
「なぜ涙が出たのか?」
その理由は、すぐには分からないことが多いのです。
でも、その問いを残しておくことこそが、大切な読書の余韻だと、わたしは思います。
物語の登場人物に触れたつもりでいたけれど、
いつのまにか、その涙はわたし自身に流れていたものかもしれない。
登場人物の言葉や選択が、わたしの奥にある何かを揺らしたからこそ、
涙というかたちで、心が反応したのだと思います。
その涙に意味を求めすぎなくてもいい。
けれど、そっと問いを添えておく、
「なぜ、いま心が動いたのだろう」と。
それが、物語との対話を終えないための、小さな灯になるのです。
「もしわたしなら?」という沈黙の対話
物語を読んでいるとき、ふと心のなかでつぶやいてしまうことがあります。
「もしわたしなら──どうしただろう?」
それは感情の動きでもあり、静かな対話のはじまりでもあります。
声に出さず、言葉にならないまま、
問いだけがぽつんと残るような沈黙。
けれど、その沈黙こそが、物語を受け取るだけでなく、
関わろうとするわたしの姿勢なのだと思うのです。
登場人物の想い、行動、選択……
そのどれもが、わたしにとっての鏡のように映り、
同じ状況に自分が立たされたときの心の在り方を、そっと浮かび上がらせてくれる。
「もしわたしなら?」という問いは、
わたしと物語のあいだにかけられた細い橋のようなもの。
その上に静かに立つことで、物語と共に在るという感覚が生まれてくるのです。
読み終えたあとも残るもの、それが問いの種
ページを閉じたとき、すべてが終わったように見えて、
でも、わたしの中では、まだ物語が続いているような気がする。
明確な答えは書かれていない。
けれど、それよりもずっと深い何かが、そっと残されている。
それは、言葉にならない問い。
たとえば、
「愛とは何だろう?」
「誰かを許すって、どういうこと?」
「希望は、どこに宿るのか?」
それらの問いは、物語の中で完結するのではなく、
わたしという読者の中に種として蒔かれるのだと思います。
そしてその問いは、日々の暮らしのなかで静かに発芽していく。
ふとした会話の中で、思い出したり。
似たような感情に出会ったときに、そっと芽吹いたり。
物語とは、読んでいるあいだだけのものではなく、
「問いを残すことで、生き続けていくもの」なのかもしれません。
物語を読むとは、自分の奥に触れる行為
わたしは、物語を読むたびに思うのです。
これは誰かの人生をなぞっているようでいて、
本当は「わたし自身」の奥深くへと降りていく旅なのだと。
登場人物の揺れや迷いに触れたとき、
それが自分のなかの未整理な感情と響き合い、
過去の記憶や、まだ言葉にならない想いが
そっと動き出す。
ページをめくる指先は、静かな探求の動作。
そこには「誰かを知ること」と「自分に触れること」が、
まるで水と水が混ざり合うように、自然に重なっていくのです。
物語は、わたしに問いかけてくる。
そして、わたしもまた、問いを返す。
そうやって交わされた言葉にならない対話こそが、
わたしのなかに灯り続ける火種となり、
まだ見ぬ明日へと、静かに歩みを進めさせてくれるのだと思います。




