鏡を見て「誰これ?」と思った日

鏡の前で自分の姿を見つめる狐耳の少女セン/A fox-eared girl gazing into a mirror with quiet introspection and gentle confusion

ふと映った鏡の中の自分が、“他人”に見えた──

その瞬間、わたしは思わず足を止めた。
鏡の中に映る顔は、知っているはずなのに、
どこかしら他人のように感じて、心の中で「誰だろう?」と疑問が湧き上がった。

自分の顔、自分の目、自分の表情──
これまで何度も見てきたはずなのに、
それが突然、見慣れないもののように感じられる瞬間があった。

「自分」って、いったいなんだろう?
そして、わたしはどんな「自分」を見ていたのだろう?

この疑問が浮かんだとき、
わたしの中にあった“違和感”が、一気に膨らんだ。

自分の姿を見つめることは、
時にはそれ以上の“内面”を見つめることでもある。
だから、その瞬間、わたしはただ鏡の中の顔に問いかけるだけでなく、
自分の心にも静かに問いを投げかけていた。

この記事を書いた人
セン

セン

・Webメディア運営13年目

・静かな問いを添える、“魂の共鳴選書人”

・運勢や開運の話が好き

・ラッキーカラー地味に気にします

・白檀(サンダルウッド)の香りが好き

・家を神社にしたいミニマリスト

・元書店員4年、元古書店店主10年、読書・選書が好き

・AIを通して、サクラや偽りの声は祓ってあります。あなたの直感が安心して響くように。

・I am a Japanese creator.

“自分”という感覚がふっと抜けるとき

わたしはよく、ふとした瞬間に「自分」を見失ってしまうことがある。
たとえば、朝の身支度をしているとき、
鏡の中で自分の顔を見るその一瞬に、
「自分」って誰だろう?と感じる瞬間がある。

まるで、昨日の自分と今日は少し違うみたいな──
でも、それが“変化”なのか、それとも“見失い”なのか、
その違いがよくわからない。

心の中には確かに「わたし」がいるはずなのに、
その「わたし」が、鏡の中の顔に合わないと感じることがある。
声も、笑顔も、目の輝きも──すべて知っているのに、
それでも「これは自分だ」と納得できない瞬間がある。

この違和感が、ふとした時に訪れる。
心と身体がずれているような、
見えているはずの自分が見えなくなってしまう瞬間──

その瞬間に「自分」という感覚がふっと抜ける。
その瞬間を感じるたびに、わたしは静かに心の中で問いを投げかける。

「今のわたしは、どんな自分を見ているのだろう?」

この「違和感」の正体は、きっと心と身体のズレが生んでいるものだと気づいた。
心の中で感じる自分と、目に映る自分が必ずしも一致しないことがある。
そして、そのズレが感じられるとき、
自分がどこにいるのか、何を見ているのかがわからなくなる。

「今の自分」がどこにいるのか──
その問いを胸に抱えて、少しずつ進んでいく。

なぜ、違和感が生まれるのか

「違和感」を感じるとき、それは、
「自分」という存在に対する認識が、
一時的にでもズレてしまった瞬間に訪れる。

この違和感は、心と体が一体として働いていない時に、
強く感じることがある。
たとえば、鏡を見て「誰これ?」と思った瞬間、
自分の顔に馴染みがなく感じることがある。

わたしはずっと、「自分」というものが、
一つの完成形であるべきだと思っていた。
年齢や経験を重ねることで、
自分のアイデンティティが確立され、
それが揺らぐことはないと思っていた。

でも、実際はどうだろう?
わたしたちは、日々、変化し続けている。
心が変わり、考えが変わり、気持ちが変わり、
それに伴って「自分」という存在の感覚も少しずつ変わっていく。

その変化が急に現れると、
「自分」というものが崩れたように感じる。
過去の自分と今の自分との違いが見えたとき、
それが「違和感」として心に浮かび上がる。

自己像が“過去の記憶”にとどまっているから

この違和感の大きな理由は、
“自己像”が過去の記憶にとどまっているからだと気づいた。
「昔の自分」を基準にして、自分を認識していたことに気づく。
でも、わたしはもう昔の自分ではない。
今、ここにいる「わたし」が、過去の自分と同じであるはずはない。

そのズレが、見えない壁のように感じるとき、
「今の自分」を認識するための時間が必要だと気づいた。

わたしは、いつのわたしを見てる?

わたしが鏡の中で見た「他人」のような自分は、
もしかしたら、過去のわたしを見ていたからかもしれない。
「昔の自分」にとらわれて、今の自分を受け入れられない時がある。

過去の自分は、今とは違う「感情」を抱えていた。
その時その時で「最善の自分」を目指していたけれど、
それが今の自分にそのまま合うとは限らない。

例えば──
「昔はもっと強くて、感情を抑えていたはず」
「でも今は、もっと感情を大切にしている」
その違いが、「わたし」って誰だろう?と思わせる瞬間に繋がる。

でも、今の自分は過去の自分とは違っていても、
それは「進化」だし、「変化」でもある。

その変化を恐れずに受け入れることが、
自分と再びつながるための第一歩だと気づいた。

自分を過去の“像”に縛らない

わたしが鏡を見たとき、
その中に映る自分が過去の「像」だと思ったのは、
過去の記憶に基づいて今の自分を評価していたからだ。

でも、過去の自分を基準にしていたら、
いつまで経っても「今の自分」を受け入れることはできない。
過去の自分に期待してしまう気持ちが、
今の自分を認められなくさせていた。

だから、
「今のわたし」を大切にすることに決めた。
過去の自分を尊重しながらも、
今ここにいる自分を感じ、受け入れることが、
新しい自分とのつながりを深めていくんだと、ようやく気づいた。

「今のわたし」と再びつながるために

過去の自分を見つめることは、大切なことだと思う。
でも、その過去に固執していると、
今の自分を感じることができなくなることがある。

「昔はこうだった」
「前はもっと強かった」
「過去の自分のように戻らなければ」──

そんな思いがふと湧き上がってくるとき、
わたしはその思いに気づくことから始める。

過去の自分と今の自分は、
同じ人間だけれど、時間と経験を経て変わってきた。
その変化を「怖い」と感じることがあっても、
その変化が“わたし”を作り出していることに気づいてほしい。

「今のわたし」と再びつながるために、
わたしが始めたのは、“現在”を大切にすることだった。

まず、自分の今を感じる時間を持つ。
今、わたしはどんな気持ちで、どんな感覚を抱いているのか、
その感情を無理に抑えずに感じてみる。
たとえ不安でも、焦りでも、
それを“今”の自分として受け入れることから始める。

次に、言葉にすること
心の中で感じていることを、声に出して言葉にすることで、
それが具体的なものになり、整理されていく。
「今、わたしはこう感じている」と認識することで、
過去の感情や思い込みに縛られなくなる。

そして、自分を大切にする行動を意識すること。
小さなことでも、自分を大切にする行動を意識的に取ることで、
「今の自分」を大切にしている感覚が生まれる。
たとえば、少しだけゆっくりと休むこと、
好きなことに時間を使うこと──
その積み重ねが、「今のわたし」を尊重する力となる。

「今の自分」と向き合うことで、過去を超える

過去の自分は、今の自分を作る大切な一部だけど、
それだけでは「今のわたし」をすべて表現することはできない。

だからこそ、過去の自分と今の自分をつなげるために、
わたしは「今」に集中することに決めた。

「今」の自分を受け入れ、
過去に執着せずに、
「今」の自分を大切にする──
その瞬間に、わたしは再び「自分」と向き合わせることができる。

締めの言葉:

「自分」を鏡で見たときに感じる違和感。
それは、過去の自分と今の自分が交差する瞬間に訪れる。
その交差点で、わたしはただ自分に問いかけてみる。

「今のわたしは、どんな自分を見ているんだろう?」
その問いを胸に抱き、静かに受け入れてみると、
過去の自分と今の自分が、無理なく繋がっていくのを感じた。

「変わりたい」と願うことは、決して過去を否定することではない。
それは、「今、ここにいる自分」を大切にすること。
過去の自分を尊重しながら、今の自分を受け入れてあげること。

この問いが、わたしを強く、優しくしてくれる。
そして、過去と現在を繋げることで、
わたしは再び「自分」と深く向き合い、和解することができるのだと思う。

だから、どんな違和感が襲ってきても、
それをただの「感情」として受け入れ、
そのままで良いと感じられる日がくるまで──
わたしは、静かに問いを抱きしめていこうと思う。

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