「わたし、このままでいいんだ」──そう思えるまで、時間がかかった。
ずっと、どこかで「こうじゃなきゃダメだ」と思っていた。
完璧でなければならない、自分を満たさなければならない、
周りと同じように、またはそれ以上に成果を出さなければならない──
そのプレッシャーに押しつぶされそうになりながら、
「幸せじゃないけれど、安心して生きていけたらいいな」と感じる日々が続いていた。
でも、そんなに大きな変化を求めなくても、
心が“静かに肯定される感覚”があれば十分だと気づいたのは、
自分を受け入れることを少しずつ学んでいったからだと思う。
今日は、そんな静かな肯定を持てるようになるまでの
自分との向き合い方をお話ししたい。
目次
“幸せ”じゃないけど、“安心”はしていたい
「幸せ」という言葉が、ずっとわたしを縛っていた。
“幸せ”というのは、何かを達成したとき、
何かを手に入れたときに感じるものだと思っていた。
「目標を達成して、完璧な状態を手に入れたら、きっと幸せになれる」と、
どこかで信じていた。
でも、どんなに頑張っても、その先には“次”の目標が待っていて、
達成しても、満たされないことが多かった。
そのとき気づいたのは──
「幸せ」ではなく「安心」が、もっと大切なんだということ。
幸せは確かに素晴らしい感情だけれど、
それが“常に”存在し続けることはない。
でも、「安心感」なら、心の中で持ち続けることができる。
「幸せ」は外部からの影響を受けやすいけれど、
「安心」は自分の内側から育てられるものだから、
外部の状況に関係なく、自分がどんな状態でも安心して生きることができる。
わたしはその安心感を求め始めた。
それは、完璧でない自分を受け入れることから始まった。
「今の自分をそのまま大切にする」
その気持ちが、だんだんと心に広がり、
「幸せじゃなくても、安心して生きていけるんだ」と感じられるようになった。
肯定感って、劇的じゃなくていい
「自分を肯定する」って、最初は大きな出来事を待っているような気がしていた。
「何かを達成しないと、自分を認めてはいけない」
そんな風に思っていた時期があった。
でも、ある時、気づいたんだ。
“肯定感”というのは、劇的なものではなく、
日々の中で静かに育てていくものだということに。
わたしは、無理に大きな変化を求めるのをやめた。
「今日の自分でいい」と思えることから始めて、
少しずつ、自分の存在を肯定していった。
「まだ足りない」と感じている自分でも、
「今日も自分をよく頑張らせてあげた」と感じられれば、それでいい。
毎日の中で、小さな成功や心の安定を感じることが、
大きな肯定感へと繋がっていく。
「完璧じゃなくてもいい」
「できなくても大丈夫」
その言葉を少しずつ自分にかけることで、
心が穏やかに、静かに安定していった。
“派手な達成”より“静かな納得”
劇的な成果や変化を求める気持ちも理解できるけれど、
それを追いかけることが自分を苦しめていることに気づいた。
わたしにとっての“肯定感”は、
毎日の中で少しずつ感じる「納得」だった。
“これで良い”という心の中での静かな許可。
この静かな納得が、どんな瞬間にも、
心に広がりを与えてくれる。
そして、その感覚が、わたしをより安定させ、
自分を大切にする力を育てていった。
焦らず回復するという選択肢
回復には、時間がかかる。
それを焦ってしまうと、結局は無理が生じて、
かえって心に負担がかかることに気づいた。
「すぐに治さなきゃ」「すぐに元気にならなきゃ」
そんな風に、無意識に自分にプレッシャーをかけていたけれど、
実際には回復するためには、自分のペースを大切にすることが一番だと思うようになった。
回復とは、心の中で傷が癒される時間だ。
その時間を“急ぐ”ことはできないし、
無理に速く進もうとするほど、
心は余計に疲れてしまう。
そのことに気づくまでは、
「早く治らなきゃ」「すぐに元気を取り戻さなきゃ」と、
自分に焦りをかけていた。でも、
それが回復を遅らせる原因になっていたんだと気づいた。
回復は、今ここにいる自分を受け入れるところから始まる。
「無理しない」「焦らない」「ゆっくりでもいい」
その気持ちを大切にしていくことで、
心は自分のペースで戻っていくことができる。
回復は、いつもゆっくりやってくる
回復には、目に見える変化がすぐに現れるわけではない。
それでも、少しずつ心が軽くなり、
“今日は少し楽になった”という小さな気づきが積み重なっていく。
焦らず、無理せず、少しずつ進むことで、
心は回復していくんだと実感している。
大きな変化を求めるのではなく、
「今日はよくできた」「今日は頑張った」と、
小さな成功を認めることが、回復の鍵だと思う。
“静かな肯定”がある人生とは
“静かな肯定”がある人生──
それは、決して劇的な変化を求めるのではなく、
日々の中で静かに自分を受け入れ、
そのままで十分だと感じることができる心の安定のことだと思う。
わたしが追い求めていたのは、
大きな達成感や、誰かに認められることではなかった。
静かに、ただ「今、ここにいる自分」を受け入れることができる安心感が欲しかった。
静かな肯定は、決して目に見える成果や進歩ではない。
それは、自分を批判することなく、
「今の自分」で十分だと認めてあげることから始まる。
日々を過ごす中で、
「今日は頑張った」「今日はよくやった」
その小さな自分への優しさが、静かな肯定を育てていく。
大きな目標を達成することがすべてではないと気づいたとき、
わたしの中で“満たされている感覚”が生まれた。
満たされるためには、何かを得ることよりも、
今ある自分をそのまま受け入れることが大切だと思うようになった。
「満たされなくても、満ちている」感覚
この感覚こそが、わたしが求めていた“静かな肯定”だった。
「まだ足りない」と感じることがあっても、
「今のわたしで十分だ」と感じられることが、
心に広がる安心感に繋がっている。
“静かな肯定”は、他人の評価や成果に左右されず、
自分自身を深く受け入れることから生まれる。
それは、もっと大きなものを求めず、
今、この瞬間に満たされていることを感じる力だ。
この感覚があると、
どんなに小さなことにも感謝できるし、
一歩ずつ進んでいく力が湧いてくる。
締めの言葉:
「静かな肯定」がある人生──それは、
目に見える変化を追い求めることではなく、
今ここにいる自分を受け入れ、そのままで十分だと感じることができる安心感から生まれる。
わたしは「もっと頑張らなきゃ」「もっと良くならなきゃ」と思っていたけれど、
その思いを手放すことで、自分を受け入れる力が育っていった。
「まだ足りない」と感じることがあっても、
「今の自分で十分だ」と感じる瞬間が、
心の中に広がる平穏と安定をもたらしてくれる。
静かな肯定は、他人の評価に左右されることなく、
自分自身を大切にし、心を満たす力を与えてくれる。
その力が、これからのわたしを支えてくれると信じている。
だから、もう一度、思えるようになった。
「わたし、このままでいいんだ」と。