言葉にならない感情を、わたしは“詩”にした。
心の中にある、言葉では伝えきれないモヤモヤや、
ふわっとした不安、時には深い悲しみ──
それらをどこに向けていいのかわからないことがある。
誰かに話すこともできず、
自分の中で繰り返し感じているだけのその感情は、
まるで風のように、形がなくて、でもどうしても消えない。
そんなとき、わたしはその感情を“詩”にしてみることにした。
その言葉が、心の中でどんな変化をもたらすのか、
どれだけ軽くなるのか、
その不思議な力を信じてみたくなった。
目次
「この気持ち、どうしたらいい?」の行き場
感情には、言葉にできないものがある。
それは、不安だったり、悲しみだったり、
時には説明できないけれど「ただ苦しい」と感じるものだったりする。
その感情を、どうしたらいいのか分からないまま、
ただ胸の中にため込んでいくことがある。
誰にも言えず、自分でもどう整理していいのか分からない──
それが、心の中で重くなる瞬間。
そのとき、わたしは「この気持ちは、どこに行くべきなのか?」と考えた。
その答えとして出てきたのが、“詩”だった。
詩という形は、感情をそのまま受け入れるための方法だった。
「正しくなくていい」という自由なルールのもとで、
言葉にすることによって、
その感情がどこかへ流れ出していくような感覚があった。
言葉にできない感情は、
そのまま心に閉じ込めておくことで、
どんどん大きくなっていくことがある。
でも、詩にすることで、その感情は「形」を持ち、
少しずつ軽くなる。
その軽さに気づくことができたとき、
心が解放されたように感じた。
それは、感情にとっての“行き場”が与えられた瞬間だった。
詩にしたとき、感情はどう変わったか
感情は、言葉にしないと、そのまま心の中でぐるぐる回り続ける。
それはまるで、何度も繰り返す「同じ旋律」のように、
どこかでずっと鳴り響いていて、消えない音のように感じる。
わたしはその音を、ただ黙って聞き流すことができなかった。
だから、わたしはその感情を詩にしてみることにした。
そのとき、ふと感じたのは、
言葉が心の中の何かを“解放”する力を持っているということだった。
感情を詩にするとき、その感情は「形」を持つようになる。
最初はただ心の中でぼんやりしていたものが、
言葉にすることで、目に見える形に変わっていく。
「悲しい」「辛い」と思っているだけでは、
その感情は抽象的で、どこに向けていいのか分からない。
でも、それを詩にすることで、その感情が一つの「存在」として現れる。
例えば、ただ「悲しい」と感じるのではなく、
「この悲しみは夜空に浮かぶ星のようだ」とか、
「風に吹かれた葉のように揺れる」とか、
感情を“視覚的に”表現することができる。
その感情が“形を持った瞬間”、
不思議とその重さが軽くなる。
心の中で閉じ込めていた感情が、
言葉を通して外に出て、空気に触れることで、
その密度が薄まっていくように感じた。
重さが、形を持った瞬間に軽くなった
詩という表現には、感情をただ表すだけでなく、
それを「手放す」力がある。
言葉にすることで、自分が感じていた“閉じ込められた感情”が、
自由に動き出す感覚があった。
例えば、心にひっかかる不安を詩にするとき、
その不安が「重い岩」のように感じていたものが、
一つ一つの言葉で細かく形を分けることができ、
最後にはその岩が少しずつ砕けていくような気がする。
詩にすることで、その感情を整理し、
心の中で納得のいく場所に持っていけるようになる。
その瞬間、感情はただの「重さ」ではなく、
心を豊かにする一つの表現となる。
「正しくなくていい言葉」だから出せたもの
詩を書くとき、わたしは「正しい言葉」を選ぼうとしなかった。
もちろん、文法や言葉の使い方には気をつけるけれど、
感情を表現するためには、まず「正しさ」に縛られる必要はないと気づいた。
わたしはその瞬間、自由に言葉を紡ぎ始めた。
「悲しい」と感じるのも、「嬉しい」と感じるのも、
その感情が何を意味しているかを、ただ素直に言葉にすることが大切だと感じた。
「正しくない」と思う言葉こそが、わたしの心を自由にする。
例えば、無理に詩を「美しい言葉で表現しよう」とすると、
感情はその中に閉じ込められてしまう。
でも、もしその感情を、ありのままに、
「わたしの言葉」で表現したなら──
それはもっと軽やかで、もっと本当の気持ちになる。
自分の感情を表現することに正しさを求めていたけれど、
その“正しさ”が、実は自分を抑えつけていたことに気づいた。
「こう書かなきゃ」「こう思われたらどうしよう」
その恐れが、わたしの感情を“言葉にできないもの”にしていた。
でも、正しい言葉を選ばなくていいんだと気づいたとき、
感情がどんどん解放されていった。
わたしが感じるままの言葉、
自分だけの“感情の言葉”を自由に表現することができた。
詩は“自分語”で書ける逃げ場
詩は、わたしにとって「逃げ場」でもあった。
他の誰かに向けて書くのではなく、
ただ自分だけに向けて、感じたことを吐き出す場所。
「これが正しいかどうか」ではなく、
「わたしが今、どう感じているのか」をそのまま表現することに、
心から解放される力があった。
感情が重くなる前に、その重さを言葉で解き放つことができる。
それが、詩という形でできたとき、
わたしは感情に圧倒されることなく、自分と向き合うことができた。
感情とともにある“詩の魔法”
詩を書くことは、単なる感情の表現ではない。
それは、心の中の深い場所と繋がり、
その深層にある感情を解き放つ“魔法”のようなものだと思う。
言葉にすることで、感情がただの「重い思い」から、
ひとつの「存在」として形を持つ。その瞬間、
感情は心の中で広がり、柔らかく変わっていく。
その魔法のような力を、わたしは詩を通して体験した。
感情は、ただ「感じるもの」として留めておくのではなく、
その感情を“言葉にすることで”はじめて動き出す。
「悲しい」「寂しい」「不安」──
それらの感情は最初は固まった塊のように感じるかもしれないけれど、
それを詩にすると、感情はどんどん柔らかくなり、
その「重さ」が「形」に変わることで、心の中で解けていく。
その“形”を言葉で表現することが、
感情を通り抜けさせ、自由にする力を持っている。
詩はまるで、感情を解放するための「扉」のように感じる。
「わたし」という小さな宇宙を編む
詩を書くことで、わたしは自分をより深く知ることができた。
自分の感情をそのまま言葉にすることで、
心の中に隠れていた思いや想いが、
少しずつ顔を出してきた。
詩の中に閉じ込めた感情は、
それだけで“わたし”を形作る大切な一部になった。
「わたし」という小さな宇宙を編むように、
その感情をひとつずつ言葉にすることで、
自分自身と深く向き合うことができた。
詩は心を柔らかくする力を持っている
そして、詩にはもう一つ、心を柔らかくする力がある。
心の中で重く感じる感情や痛みを、
優しく包み込むような言葉で表現することで、
それらが軽くなり、解放されていく。
それはまるで、感情が空気のように広がり、
自然に流れていくような感覚。
詩を通して感情を受け入れ、
その感情を“ありのまま”で大切にすることが、
心を癒やす力になる。
締めの言葉:
感情を言葉にすることで、わたしは自分の心と向き合わせることができた。
「悲しい」「辛い」「不安」──それらの感情は、
ただ心の中にしまい込んでしまうのではなく、
自分の言葉で表現することで、心が少しずつ解放されていく。
詩にすることは、感情をそのまま受け入れること。
それは「正しさ」を求めるのではなく、
「わたしの感じていること」をそのまま表現することに他ならない。
その言葉のひとつひとつが、
心の中で静かに、でも確実に重さを軽くし、
わたしの感情を自由にしていく。
詩には不思議な力がある。
それは、わたしの中にある感情を“解き放つ力”であり、
その力が、わたしをより豊かな心に導いてくれる。
だから、もしもあなたが今、言葉にできない感情を抱えているなら──
その感情を詩にしてみて。
あなたの心を軽くするための第一歩になるかもしれません。