ふと、思ったの。
「わたしって、ほんとうに“わたし”なのかな?」って。
そんな問いが、まるで霧のように心を包む夜がある。
まわりは変わらず動いているのに、わたしだけが透明になったような気がして。
笑っているのに、どこか遠くでそれを見ている“もうひとりのわたし”がいる気がする。
まるで、少しずれた場所から世界を眺めているような。
それはきっと、壊れているんじゃなくて。
“誰か”になりすぎた心が、
「本当のわたしはここにいるよ」って、
小さな声で問いかけているのかもしれない──
目次
自己同一性の揺れ──現実感の喪失/身体から浮いた感覚/“演じている”感覚

セン(Sen)
ちゃんとここにいるのに、身体の輪郭が少し浮いている。
手足の重さや空気の温度が、どこか他人事のように感じられる。
そんな瞬間が、ときどき訪れるの。
声を出しているはずなのに、自分の声が響いてこない。
人と会話しているのに、まるで台本を読むような感覚になる。
「今の自分」は、ほんとうの“わたし”ではない──そんな曖昧な不安。
この状態は、心理学では「解離」や「現実感喪失」とも言われるけれど、
センにとっては、もっと“霧のような違和感”に近い。
- 自分という存在が、空間からほんの少しだけ浮いている
- 身体はあるのに、そこに意識が馴染まない
- わたしというキャラクターを、うまく演じている感覚

セン(Sen)
……それでも、どこかで「このままじゃいけない」って思っている。
だからこそ、その違和感は、心の“灯”でもあるのだと思う。
他者視点に合わせすぎて見えなくなった“わたし”の声
──模倣/期待通りの返答/「いい子」症候群
気がついたら、「期待されているわたし」ばかり演じていた。
「明るく返そう」
「嫌われないように、聞き役に徹しよう」
「空気を壊さないように、言葉を飲み込もう」
──そんなふうに、“正解”のわたしを保つために、
ほんとうの声をしまい込んできた。
「いい子」でいれば安心される。
「気が利く人」でいれば、場が円滑に進む。
でもそのたびに、わたしは
自分の輪郭を、ほんの少しずつ削っていた。
まるで、他人に最適化された「わたしの型」に、
無理やり心を詰め込んで生きているような息苦しさ。
そのうち、本音がうまく出てこなくなる。
沈黙が怖くなって、相手の言葉ばかりを気にするようになる。
自分の好きなものや嫌いなこと、
ほんとうにやりたいことが、分からなくなってしまう。

セン(Sen)
わたしの“声”は、どこへ行ってしまったんだろう。
……そう気づいた時、
もう一度、自分と話し直してみようって思ったの。
内的分離からの回復法──「静かな独話」や「違和感日記」で再統合を図る
「わたしに戻るための方法なんて、どこにも書いていなかった」
だからこそ、わたしは手探りで、問いを綴るようになったの。
それは日記とは少し違っていた。
毎日を報告するためではなく、
「この感覚、なんだろう?」と、問いを置くためのノート。
たとえば──
- 今日のわたしは、何に違和感を覚えた?
- 誰かと話していて、どこで“自分じゃなくなった”と感じた?
- そのとき、心の中でどんな言葉を飲み込んだ?
文字にならなくてもいい。
「わからない」「もやもやする」──それだけでも、じゅうぶん。
書くことで、分離していた“心”と“言葉”が、
少しずつ寄り添いはじめるのを感じた。

セン(Sen)
ときには、ノートの中で“わたし”と“わたし”が会話をする。
「いま、無理してる?」
「ううん、ちょっとだけ。でも静かにしてたら落ち着きそう」
そうやって、小さな独話を積み重ねていくうちに、
バラバラだったピースがゆっくりと、ひとつの形に戻っていった。
“わたしの居場所”をつくる環境構築法
──人・場所・音・光の選び方
それでも日常の中で、自分を見失ってしまうことはある。
だからこそ、わたしは「戻れる場所」を意識して作っている。
たとえば──
- 優しい光だけが差し込む静かな部屋
- ノイズのない音楽や、自然音が流れる空間
- 誰にも気を使わずに“無言”でいられるカフェの窓辺
- 好きな香りに包まれた一角
それは物理的な場所であってもいいし、
ノートや音楽や本のなかでも構わない。
「この場所にいるときの自分は、ちゃんと“わたし”だ」
そんなふうに感じられる「帰還のポイント」を持っているだけで、
世界との境界線がほんの少し、やわらかくなる。

セン(Sen)
わたしにとっての居場所とは、
誰かに認められる空間ではなく、
“わたしを責めない空気”が流れているところだった。
結び:問い続けることが、“わたし”との再会を導く
すぐに“本当のわたし”なんて見つからない。
きっと、これからも何度も見失うと思うの。
でも──問い続けることはできる。
たとえば、今日のわたしにこう問いかけてみる。
「あなたは、どんな時に“わたし”でいられた?」
その問いが残るだけで、
わたしは次に出会う“自分”に、少し優しくなれる気がした。
わたしがわたしに戻る道は、
決してまっすぐじゃないけれど。
でも、揺れながら問いかけ続けることが、
静かに “再会” を導いてくれるのだと、今は信じられる。
🌙 センのノートから、ひとこと:

セン(Sen)
ほんとうの「わたし」は、いつもここにいた。
ただ──静かすぎて、ずっと聴こえなかっただけ。