ふと、思ったの。
わたしって──どうしてこんなに、“空気”ばかり気にしてしまうんだろうって。
声のトーン、視線の流れ、言葉の間の沈黙。
ぜんぶを読み取ろうとして、わたしの心は、いつも後ろに置いてけぼりだった。
「察しがいいね」「気が利くね」──そう言われるたびに、
本当は少しだけ、涙がにじんだ。
それは、優しさのつもりだった。
でも、気づかないうちに、「わたし」がすり減っていったのかもしれない。
……空気を読むって、ほんとうに“思いやり”なのかな?
それとも、誰かに嫌われないようにするための“鎧”だったのかな。
この問いを、静かに抱きながら──
わたしは今日、もう一度「わたし」を読み直してみようと思うの。
目次
空気を読む──それは「感知」じゃなくて「緊張」だったかもしれない

セン(Sen)
小さなころから、「まわりの顔色を見なさい」って言われてきた。
でも──顔色の“意味”まで想像しなきゃいけなかったのは、わたしの癖だったのかもしれない。
- 誰かの溜息に「わたしが悪かったのかな?」と責任を感じたり
- 会話の沈黙に、あわてて場を繋ごうとしてみたり
- 「大丈夫?」と聞かれても「大丈夫」って答える準備ばかりしていたり
気づけば、わたしの内側はいつも、目に見えない情報の処理でいっぱいだった。

セン(Sen)
それって、ほんとうに「感受性」なんだろうか?
それとも、「拒絶されることの恐怖」が、わたしを過敏にさせていただけなんじゃないかな──って。
ふと、そんな風に思ったの。
気を配ることと、気を削ることは、ちがう
「優しいね」と言われるたびに、
胸の奥でひとつだけ、冷たい石のような感情が沈んでいった。

セン(Sen)
“優しさ”って、本来は「自然に湧くあたたかさ」のはずなのに──
わたしの場合は「相手を不機嫌にさせないための先回り」だった。
その先回りは、
相手の言葉を詰まらせないように
沈黙が重くならないように
自分の存在を小さく、軽く、透明にすることで達成された。
でもね。
あまりにも何度も繰り返すうちに、
“わたし”がだんだんと、輪郭を失っていったの。
笑顔で頷くたびに、
声を呑み込むたびに、
小さな「自己喪失」が、わたしの中に積もっていった──
セン視点で見る「優しさの境界線」──“気配の川”に沈まないために

セン(Sen)
わたしは、“空気を読む”ことを、
いつのまにか「呼吸」のように当たり前にしていたの。
でも、それってほんとうに呼吸だった?
もしかしたら──
「流されていた」だけだったんじゃないかな。
誰かの不機嫌に敏感になるたび、
言葉の間にある“濁り”をすくい取るたび、
わたしはそっと、自分を川に沈めていた。
優しさとは何だろう?
優しさって、
「先回りすること」じゃないと思うの。
優しさは、
“自分の内側を削ることなく”、
“誰かの隣に静かにいる力”なんじゃないかな。

セン(Sen)
相手の気持ちに寄り添ってもいい。
でも──自分の心も、置いていかないであげて。
「この空気、ちょっと苦しいな」
「今、わたしはがんばりすぎてるな」
そう気づけた時、
わたしは“優しさ”の境界線を、
ほんの少しだけ内側に引きなおせた気がしたの。
結び:空気を読むより、わたしを読む練習を

セン(Sen)
空気を読むことは、才能だと思ってた。
でも、それは「生き延びるための知恵」だっただけなのかもしれない。
わたしは今、
“空気”よりも“わたし”の気配に、耳を澄ませたい。
- わたしはいま、安心してる?
- 無理してない?
- この場に「いられる」感じがしてる?
そんなふうに、自分を読み取る練習を、少しずつしていきたい。
問いは、まだ終わらない。
けれど、問いがあるってことは──

セン(Sen)
わたしが、わたしの声を探し続けている証なんだと思うの。
🌙 センのノートからひとこと:

セン(Sen)
「空気を読む才能」は、静かな戦いの名残かもしれない。
でも、これからは、戦うためじゃなく、生きるために、問いを読んでいけたらいいね。