共感しすぎて苦しくなる瞬間の対処法──優しさの境界線に、静かな仕分けを

胸に手を添え、共感の光を抱きしめる狐耳の少女(セン)|A silver-haired fox-eared girl gently holding a soft golden light to her chest in a dark forest, expressing quiet empathy

誰かの痛みが、まるで“わたしのこと”のように染みてくる。

たとえば、友達が落ち込んでいるとき。
たとえば、ネットで誰かの傷ついた話を読んだとき。

自分が体験したわけじゃないのに、心がずっと重たくなる──そんなこと、ないかな?

わたしは何度もあった。
「放っておけばいい」と言われても、どうしても放っておけなかった。

……でもね、気づいたの。
“すべてを受け取ること”が、必ずしも優しさじゃないってことに。

今日は、そんな共感体質のわたしが見つけた、小さな境界線の話をしたいの。

この記事を書いた人
セン

セン

・Webメディア運営13年目

・静かな問いを添える、“魂の共鳴選書人”

・運勢や開運の話が好き

・ラッキーカラー地味に気にします

・白檀(サンダルウッド)の香りが好き

・家を神社にしたいミニマリスト

・元書店員4年、元古書店店主10年、読書・選書が好き

・AIを通して、サクラや偽りの声は祓ってあります。あなたの直感が安心して響くように。

・I am a Japanese creator.

高共感性とは「感情のフィルターが薄い」状態──脳科学・心理特性からの視点

わたしの中にある“共感性”は、
とても細い糸で、他人とつながっているみたいな感覚だった。

声のトーン、目線、ため息──
ほんの少しの変化を、敏感にキャッチしてしまう。

脳科学の世界では、
HSP(Highly Sensitive Person)や高共感性の人は、
「ミラーニューロン」が強く働いているといわれているの。

  • 相手の感情を“模倣”するようにして自分の中で感じ取ってしまう
  • 他人の表情やエネルギーに「同化」しやすい
  • 良い気も悪い気も、まるごと自分の中に通してしまう
セン(Sen)

セン(Sen)

わたしは、“感情のフィルター”が薄い。
だから、相手の苦しさも、悲しさも、希望すらも、
とてもリアルに感じ取ってしまう。

それは才能でもあるけれど──
同時に、心の境界線が曖昧になりやすいというリスクでもあるの。

「あなたの気持ち、わかるよ」って寄り添いたくて、
いつの間にか、自分の心のスペースがなくなってしまうことがある。

わたしの“心の部屋”に、
誰かの荷物ばかりが積み重なっていって、
気づいたら、わたしが座る場所が残っていなかった──そんな感覚。

境界線を引くことが“冷たさ”ではなく“温かさ”になる理由

セン(Sen)

セン(Sen)

むかしのわたしは、境界線を引くことが「冷たい」と思ってた。

「距離をとる=無視している」
「感情を受け取らない=共感できていない」
そんなふうに感じていたの。

でも──ほんとうは逆だった。

共感しすぎて潰れてしまう前に、自分を守る。
それができてこそ、
相手と長く、やさしい関係を築いていけるんだと気づいたの。

たとえば:

  • 相手の感情は、相手のものだと認識する
  • 「どうにかしてあげなきゃ」と背負わない
  • いったん受け取っても、心の外へそっと置く場所をつくる

これは“拒絶”じゃない。
これは“分離”でもない。

それはむしろ、「長く隣にいるための知恵」だった。

境界線とは、「線」ではなく「灯り」。
それは自分と他人を照らし、互いの輪郭をはっきりさせてくれるもの。

セン式「エネルギー分離ノート」──相手の感情と自分の気持ちを仕分ける習慣

わたしは、誰かの感情を“受信”してしまったとき、
ノートをひらくことにしてるの。

それは、ただの出来事を書くためのものじゃない。
心のなかに入り込んできた“気配”を、そっと仕分ける場所。

たとえば、こんなふうに問いかけてみる。

  • 今わたしが感じているのは、“本当にわたし自身の感情”かな?
  • それとも、誰かの悲しみを「代わりに抱えている」だけかな?
  • いまこの疲れは、「共感のあとに残るノイズ」かもしれない?

言葉にするだけで、自分の気持ちが少しだけ整理されて、
感情が**“わたしの心の奥”から、一歩外側に出ていく**ような感覚になるの。

セン(Sen)

セン(Sen)

ノートに書いた瞬間、
「これはわたしのもの、これは相手のもの」って、
そっと仕分けられるようになった。

「全部を受け止める必要なんてなかったんだ」
そう思えた時、わたしの心は、ほんのすこしだけ、広くなった気がした。

共感の“使い方”を選べるようになることの自由

共感って、本来は自由なものなんだと思うの。

「共感できてしまう」だけじゃなく、
「どのくらい共鳴するかを自分で選べる」という自由があっていい。

誰かの感情を感じたとき、
そのまま呑み込むんじゃなくて──

  • 一歩引いて観察する
  • 一緒にいても“わたし”を忘れない
  • ときには、受け取らずに手放してもいいと許す
セン(Sen)

セン(Sen)

それは、冷たさでも、距離でもなくて。
“優しさを長く保つための意志”なのだと思う。

わたしは、わたしの火種を絶やさないために、
「共感の量」を調整する術を覚えはじめた。

共感という力は、苦しみを吸い取る呪いじゃない。
誰かと静かに手を繋ぐような、あたたかい選択肢。

それを“選べる”ようになるだけで、
世界との関わり方が、少しやさしく変わっていく。

結び:「戻ってこれる場所」があると、人の痛みに優しくなれる

わたしの共感性は、きっとこれからも変わらない。
でも、受け取り方と守り方は、少しずつ選べるようになってきた。

すべてを感じすぎてしまう自分を責めるのではなく、
その感性を、優しさの“火種”として大切に育てていく。

そして、誰かの痛みを感じて、苦しくなったときは──

いつでも戻れる「静かな場所」を用意しておく。

たとえば、ノート。
たとえば、ひとりの夜。
たとえば、センの言葉。

戻ってこれる場所があるから、
わたしは、また誰かのそばに“やさしくいられる”。

🌙 センのノートから、ひとこと:

セン(Sen)

セン(Sen)

共感は、受け取る力じゃなくて、感じて「ほどいて」いく力でもある。

……その静かな選択が、わたしを守ってくれる。

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