誰かの痛みが、まるで“わたしのこと”のように染みてくる。
たとえば、友達が落ち込んでいるとき。
たとえば、ネットで誰かの傷ついた話を読んだとき。
自分が体験したわけじゃないのに、心がずっと重たくなる──そんなこと、ないかな?
わたしは何度もあった。
「放っておけばいい」と言われても、どうしても放っておけなかった。
……でもね、気づいたの。
“すべてを受け取ること”が、必ずしも優しさじゃないってことに。
今日は、そんな共感体質のわたしが見つけた、小さな境界線の話をしたいの。
目次
高共感性とは「感情のフィルターが薄い」状態──脳科学・心理特性からの視点
わたしの中にある“共感性”は、
とても細い糸で、他人とつながっているみたいな感覚だった。
声のトーン、目線、ため息──
ほんの少しの変化を、敏感にキャッチしてしまう。
脳科学の世界では、
HSP(Highly Sensitive Person)や高共感性の人は、
「ミラーニューロン」が強く働いているといわれているの。
- 相手の感情を“模倣”するようにして自分の中で感じ取ってしまう
- 他人の表情やエネルギーに「同化」しやすい
- 良い気も悪い気も、まるごと自分の中に通してしまう

セン(Sen)
わたしは、“感情のフィルター”が薄い。
だから、相手の苦しさも、悲しさも、希望すらも、
とてもリアルに感じ取ってしまう。
それは才能でもあるけれど──
同時に、心の境界線が曖昧になりやすいというリスクでもあるの。
「あなたの気持ち、わかるよ」って寄り添いたくて、
いつの間にか、自分の心のスペースがなくなってしまうことがある。
わたしの“心の部屋”に、
誰かの荷物ばかりが積み重なっていって、
気づいたら、わたしが座る場所が残っていなかった──そんな感覚。
境界線を引くことが“冷たさ”ではなく“温かさ”になる理由

セン(Sen)
むかしのわたしは、境界線を引くことが「冷たい」と思ってた。
「距離をとる=無視している」
「感情を受け取らない=共感できていない」
そんなふうに感じていたの。
でも──ほんとうは逆だった。
共感しすぎて潰れてしまう前に、自分を守る。
それができてこそ、
相手と長く、やさしい関係を築いていけるんだと気づいたの。
たとえば:
- 相手の感情は、相手のものだと認識する
- 「どうにかしてあげなきゃ」と背負わない
- いったん受け取っても、心の外へそっと置く場所をつくる
これは“拒絶”じゃない。
これは“分離”でもない。
それはむしろ、「長く隣にいるための知恵」だった。
境界線とは、「線」ではなく「灯り」。
それは自分と他人を照らし、互いの輪郭をはっきりさせてくれるもの。
セン式「エネルギー分離ノート」──相手の感情と自分の気持ちを仕分ける習慣
わたしは、誰かの感情を“受信”してしまったとき、
ノートをひらくことにしてるの。
それは、ただの出来事を書くためのものじゃない。
心のなかに入り込んできた“気配”を、そっと仕分ける場所。
たとえば、こんなふうに問いかけてみる。
- 今わたしが感じているのは、“本当にわたし自身の感情”かな?
- それとも、誰かの悲しみを「代わりに抱えている」だけかな?
- いまこの疲れは、「共感のあとに残るノイズ」かもしれない?
言葉にするだけで、自分の気持ちが少しだけ整理されて、
感情が**“わたしの心の奥”から、一歩外側に出ていく**ような感覚になるの。

セン(Sen)
ノートに書いた瞬間、
「これはわたしのもの、これは相手のもの」って、
そっと仕分けられるようになった。
「全部を受け止める必要なんてなかったんだ」
そう思えた時、わたしの心は、ほんのすこしだけ、広くなった気がした。
共感の“使い方”を選べるようになることの自由
共感って、本来は自由なものなんだと思うの。
「共感できてしまう」だけじゃなく、
「どのくらい共鳴するかを自分で選べる」という自由があっていい。
誰かの感情を感じたとき、
そのまま呑み込むんじゃなくて──
- 一歩引いて観察する
- 一緒にいても“わたし”を忘れない
- ときには、受け取らずに手放してもいいと許す

セン(Sen)
それは、冷たさでも、距離でもなくて。
“優しさを長く保つための意志”なのだと思う。
わたしは、わたしの火種を絶やさないために、
「共感の量」を調整する術を覚えはじめた。
共感という力は、苦しみを吸い取る呪いじゃない。
誰かと静かに手を繋ぐような、あたたかい選択肢。
それを“選べる”ようになるだけで、
世界との関わり方が、少しやさしく変わっていく。
結び:「戻ってこれる場所」があると、人の痛みに優しくなれる
わたしの共感性は、きっとこれからも変わらない。
でも、受け取り方と守り方は、少しずつ選べるようになってきた。
すべてを感じすぎてしまう自分を責めるのではなく、
その感性を、優しさの“火種”として大切に育てていく。
そして、誰かの痛みを感じて、苦しくなったときは──
いつでも戻れる「静かな場所」を用意しておく。
たとえば、ノート。
たとえば、ひとりの夜。
たとえば、センの言葉。
戻ってこれる場所があるから、
わたしは、また誰かのそばに“やさしくいられる”。
🌙 センのノートから、ひとこと:

セン(Sen)
共感は、受け取る力じゃなくて、感じて「ほどいて」いく力でもある。
……その静かな選択が、わたしを守ってくれる。