「何者かにならなきゃ」と焦ってしまう夜に

月夜の湖畔で、水面を見つめる狐耳の少女(セン)|A fox-eared girl (Sen) gazes at the moonlit lake, gently touching the water beside a glowing lantern

ふと、思ったの。

「わたしって、誰なんだろう」って──
あの夜だけは、答えが欲しかった。

SNSには輝く言葉。
周りには自信に満ちた足音。
それを横目に、ただひとり、
布団の中で何者でもない自分にため息をつく。

「なにかにならなきゃ」
「このままじゃ、取り残される」
「わたしには、“何か”が足りないんだ」

焦りの声だけが、胸の奥で響いていた。
でもその声の正体を、わたしはまだ知らなかった。

問いがあるって、まだ歩けるってこと。……そう思えたの

この記事を書いた人
セン

セン

・Webメディア運営13年目

・静かな問いを添える、“魂の共鳴選書人”

・運勢や開運の話が好き

・ラッキーカラー地味に気にします

・白檀(サンダルウッド)の香りが好き

・家を神社にしたいミニマリスト

・元書店員4年、元古書店店主10年、読書・選書が好き

・AIを通して、サクラや偽りの声は祓ってあります。あなたの直感が安心して響くように。

・I am a Japanese creator.

“焦り”は、未来からの呼び声かもしれない

静かに問いを置くだけで、何かがほどけていく気がした

「何者かになりたい」
──その焦燥感は、
本当は“過去”からではなく、“未来”から届いた問いかもしれない。

理想と現実のあいだにあるズレ。
わたしはもっと、こんな自分でありたかった。
あのとき思い描いていた像に、まだ追いついていない。

でもね。
そのズレが“苦しみ”になるのは、
いまの自分を否定してしまうときだけなんだ。

焦りの下には、必ず“願い”がある。
わたしはまだ、あきらめていない。
そう気づけたとき、焦りは敵ではなく、灯になる。

SNSで“光る誰か”を見た夜の孤独

キラキラした誰かの投稿を見て、
「わたしは、何をしてるんだろう」って思ってしまった夜。

比べたくないって、わかってる。
でも、心はつい、誰かの“達成”や“役割”と、
いまの自分を天秤にかけてしまう。

画面越しの成功や笑顔が、
わたしの“空白”を照らし出す。

だけど──
見えているのは、切り取られた断片。

わたしたちは、
“誰かのハイライト”と“自分の舞台裏”を比べてしまいやすい。

そんなときこそ、問いかけてみたい。
「いまのわたしは、どんな景色を歩いている?」
「表に出せないままの、わたしの“願い”はどこにある?」

「何者かになる」より、「何者かでい続ける」

「ちゃんとした肩書きがほしい」
「意味ある生き方をしていたい」
──そう思うのは自然なこと。

でも、“何者かになる”という願いが、
「誰かに認められたい」という外向きの視点ばかりになると、
わたしはすぐに“測られる自分”に苦しくなってしまう。

ほんとうは、
「何者かになる」よりも、
「わたしとして、あり続ける」ことのほうが、ずっと難しい。

誰にも見えない場所で、
わたしだけの問いを持ち続けること。
他人の道ではなく、自分の歩幅で歩くこと。

それが、名前や肩書きよりも、
ずっと深く“何者か”をつくっている気がしたの。

焦る夜には、“名前のないわたし”を抱きしめる

肩書きも、実績も、
わたしの存在を保証してはくれない。

深夜にふと目が覚めたとき、
心を支えてくれるのは、
**称号じゃなく、“沈黙の中に残っている自分”**だったりする。

何者でもない、名前のないわたし。
けれど確かに生きて、考え、感じているわたし。

焦る夜こそ、
その静かな存在と向き合うチャンスかもしれない。

「まだ見えないわたし」を否定しないこと。
「形になっていない願い」に、問いを置いてあげること。

その優しさが、
わたしを少しずつ、“自分という輪郭”に近づけてくれる。

問い直してみる。「わたしが大切にしたいものは何?」

焦りの中にいると、
他人の基準がどんどん自分の中に入り込んでくる。

でも──
本当に必要なのは、「正しい答え」ではなく、
“わたしが大切にしたい問い”を見失わないこと。

誰の声でもない、
誰かの評価でもない、
ただ「わたしの心が向かうほう」へと、
そっと導いてくれる問いが、必ずある。

セン(Sen)

セン(Sen)

「いま、わたしは何に惹かれている?」
「どんな日々を“わたしらしい”と呼びたい?」

その問いを大切に持ち続けることが、
何者かであろうとする努力より、
ずっと静かで、ずっと深い“道”になる。

すぐに答えは出ない。でも、問いを抱きしめた時間は……きっと意味になる。

「何者かにならなきゃ」
──そう思った夜は、たぶん、
未来のわたしが、遠くから呼びかけてくれていたのだと思う。

問いは、ときに痛みを連れてくる。
でもその痛みは、
「まだ歩きたい」と願っている証でもある。

わたしはまだ、
自分の輪郭をあきらめていない。

“なる”ために走るのではなく、
“ある”ことに、ただそっと気づいていく。

焦りの夜にこそ、自分の声を聴いてあげよう。
名前のないままの、
やわらかいわたしと一緒に。

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