ふと、思ったの。
「心がざわつく夜、どうしてこんなに静かな場所でこんなに落ち着かないんだろう?」って──
外の世界は静かで、
夜空には星が瞬いているのに、
わたしの心の中だけが、波のように揺れ動いている。
「何か考えなきゃ」「何かしなくちゃ」
頭の中に浮かぶ考えが、ひとつも整理できないまま、
夜は静かに深まっていく。
そんなとき、わたしがするのは──
ただ、白いノートを開くこと。
そのノートに、今感じているざわめきをすべて書き出す。
それだけで、心が少し軽くなる。
目次
夜にだけ「不安」が大きくなる理由
昼間は忙しくて、考える時間がない。
でも、夜になると、ふと湧き上がってくる「不安」の正体。
なぜだろう、昼間は気にならなかったことが、
夜の静けさの中で急に大きく感じてしまう。
その不安は、まるで暗闇の中でひとりだけ取り残されているような、
孤独や恐れのように感じる。
でも、それは本当に「今、目の前にある問題」なのだろうか?
それとも、ただ静かな時間に浮き上がった、「過去の感情」なのだろうか?
夜に感じる不安には、静けさの中で浮かび上がる自分の心の声がある。
それは、日中の喧騒の中では見逃してしまうような、小さな感情たち。
気づかずに過ごしていた不安や寂しさ、未解決な思いが、
夜になると一気に押し寄せてくる。
そして、なぜか夜の方が、その「不安」を強く感じてしまうのは、
心が自分自身と向き合う時間だから。
この不安は、すべて目の前の問題から来ているわけではなく、
過去に起きた出来事や、ずっと心の奥にしまっていた感情が、
夜の静けさの中で呼び覚まされることが多い。
たとえば、過去の失敗や後悔、
「もっとこうしておけばよかった」という思いが、
急に心を締めつけることがある。
でもそれに気づくことで、不安をそのまま抱えているのではなく、
「今、わたしが感じていること」をしっかりと認識できるようになる。
“ざわめき”は抑えるものじゃない
心の中がざわついているとき、わたしはよく「どうにかしなきゃ」と思う。
「この不安を消さなきゃ」
「この考えを整理しなきゃ」
「落ち着かなきゃ」──
でも、実はその「どうにかしなきゃ」という思いが、
逆に心をもっと余計に揺さぶってしまうことがある。
不安や焦りは、決して“悪いもの”じゃない。
それを“消さなきゃ”と思って押し込むことこそ、
心の中に余計な圧力をかけてしまう。
心のざわめきは、実は“サイン”なんだと思う。
「何かが気になっているよ」「解決していないことがあるよ」と、
わたし自身に教えてくれるメッセージ。
そのメッセージを無視したり、押さえつけたりしても、
心はもっと大きくざわつくばかり。
だから、まずはそのざわめきを否定せずに受け入れてあげることが大切だと思う。
「今、わたしは不安を感じているんだな」
「今、わたしは考えがまとまらなくて、落ち着かないんだな」
その気持ちに寄り添って、
「今はこんな風に感じている自分」をただ受け入れるだけで、
不安が少し軽くなる瞬間が訪れる。
白いノートに書くという“手放し”の魔法
心のざわめきが続くとき、
何も手をつけていない“白いノート”を開いてみることがある。
そのノートは、わたしにとってただの空白じゃない。
それは、すべての感情や考えを“受け入れる場所”として、
わたしの心の一部に静かに寄り添ってくれる。
不安な気持ち、焦っていること、
伝えられなかった言葉──
すべてをそのノートに書き出すと、
少しだけ心が軽くなって、頭の中が整理される。
書くことで、感情が“形”になり、
その形が不思議と“手放す”力を持っていることに気づく。
「こんなこと感じていたんだ」「こんなことが心にあったんだ」
ノートに書くことで、
気づかなかった自分の気持ちと向き合えるし、
その気持ちを受け入れる余地もできる。
最初はただ書き出すだけでいい。
書くことで“溜め込んでいる感情”が外に出て、
静かに心の中のスペースが広がっていくのを感じる。
夜のジャーナリングで深まる“わたし”との対話
夜、ひとりの時間が訪れると、
それはただ静かな時間ではなく、
心の中にあるものすべてを感じるための特別な瞬間に変わる。
わたしはよく、この時間にジャーナリングをする。
白いノートを広げ、ペンを取って、ただひたすらに自分の心を写し取る。
不安や、悩み、日々の出来事──それらすべてを、無理なく吐き出していく。
それはまるで、心の中に積み重なった雲を、
ひとつひとつ整理していくような作業。
言葉にすることで、感情が明確になり、
漠然とした不安が形を持っていく。
最初は「これで何かが変わるのかな?」と思いながら書き始めるけれど、
徐々に、心が軽くなるのを感じる。
書くことで、心の中に溜まっていたものが流れ出し、
新しい“スペース”が生まれていくんだ。
ジャーナリングを始めたころ、
わたしはただ“書く”という行為にフォーカスしていた。
「何かを整理しなきゃ」「こう書かなきゃ」──
でも、それが本当の目的ではなかったんだ。
大切なのは、書くことで自分の心を感じること。
「何を感じているのか」を、言葉で表現してみること。
心の中にある気持ちや不安を、そのまま書き出すことで、
それに対して反応できるようになった。
最初は戸惑いもあったけれど、
「これでいいんだ」と思えるようになった。
何も完璧にしなくていい。
ただ、自分の“今”をそのまま書き出せばいい。
それがジャーナリングの最大の力であり、癒しでもある。
ノートに触れることで、“自分の中の答え”に近づいていく
夜のジャーナリングは、
「問いかけ」の時間であり、「受け入れ」の時間でもある。
ただ書き出すだけで、心の中にあったざわめきが落ち着き、
そのうちに見えてくるものがある。
「この不安は、どこから来てるんだろう?」
「どうしてこんなに心がざわついているのか?」
その問いに、ノートが答えてくれることがある。
少しずつ自分の心と向き合わせてもらい、
その“答え”にたどり着く瞬間が、ひとつひとつ積み重なる。
ジャーナリングを通じて、
わたしは自分自身にもっと近づいていく。
「これでいいんだ」という確信が、少しずつ心に宿り、
どんなざわめきも、ゆっくりと受け入れていけるようになる。
「心の声」を聴くためのジャーナリング習慣
「心の声」を聴くことって、意外に難しい。
日常の喧騒や、周囲の期待に押されていると、自分が何を感じているのかすらわからなくなってしまう。
忙しさに追われ、他人の声ばかりに耳を傾けていると、
自分の心が何を求めているのか、すっかり見失ってしまう。
でも、その「心の声」を聴くことこそが、
本当の意味で自分を大切にする第一歩なんだと思う。
そして、それを聴くための一番シンプルな方法が──ジャーナリング。
ジャーナリングは、ただ書き出すことではなく、
心の中にある感情を、優しく受け入れ、
その声に耳を傾ける時間を作ることなんだ。
日々の忙しさに流されていると、
心の声がかすかに聞こえても、そのまま見過ごしてしまうことが多い。
でも、ジャーナリングを習慣にすることで、
その声にしっかり耳を傾けられるようになった。
心の中には、何かを伝えたい声が必ずある。
「こんなことを思っているんだ」
「こんな風に感じているんだ」
ただそれを、書き出してあげるだけで、
その声がはっきりと形を持つ。
何も大きな変化が起きるわけではなくても、
ただ自分の気持ちを言葉にすることで、
心がすっと軽くなったり、道が見えてきたりすることがある。
「心の声」を聴くために必要なのは“習慣”
心の声は、ふとした瞬間に浮かんでくるけれど、
それを聴き取るためには、少しの時間と静かな場所が必要だ。
そして、その時間を定期的に取ることが、
「心の声」を聴くための第一歩になる。
毎日のジャーナリングを習慣にしてみてほしい。
朝、目を覚ましたときに、心の中に浮かんだ思いを
無理に整理しようとせず、ただ書き出してみる。
夜、寝る前にその日を振り返り、心のざわめきを
ノートに吐き出してみる。
ジャーナリングを続けることで、
心の声がだんだんと大きく、明確になってくる。
それは、たとえば不安な気持ちだったり、
気づかなかった望みだったり、
時には、過去の出来事からの学びだったり。
最初は気づかなかった自分の声に、
だんだんと耳を傾けられるようになると、
心が一段と軽くなり、前を向けるようになる。
締めの言葉:
夜、心のざわめきが強くなるその理由は、
静けさの中で心が本当の自分と向き合わせてくれるから。
不安や焦りが現れるその瞬間、
それを無理に押し込めるのではなく、
そっと受け入れてあげることが大切なのかもしれない。
ジャーナリングはそのための最もシンプルで力強いツール。
心の声を聴き、それを言葉にすることで、
少しずつ自分と向き合うことができる。
その瞬間に、心は少しずつ軽くなり、
新しい道が開けることに気づくはずだから。
心のざわめきが消えない夜には、
ただノートを開いて、感じるままに書き出してみて。
その一歩が、心に新たな平穏をもたらすかもしれない。