夜、湖のそばに立っていると──
自分の心が、ゆっくりと澄んでいくのを感じる。
風も音も少ないその場所で、
水面に映る光だけが、
わたしの問いに応えるように揺れていた。
「どうしてこんなに迷っているのか」
「何を手放せずにいるのか」
そんな問いを抱いたままでも、
湖は、否定せず、急かさず、ただ「映して」くれる。
もしかしたら──
答えよりも先に、
“心のかたち”を映してくれる場所が、わたしたちには必要なのかもしれない。
目次
湖面に映るものは、風景ではなく「わたし」だった
水面に映る月や光を見ていると、
ふと、ある感覚に包まれる。
それは、「見ている」のではなく、
「見られている」ような感覚。
──湖は鏡のように、
目の前の風景だけでなく、
わたしの内側まで、そっと映し返してくる。
静かに揺れるその光の中に、
わたしの迷いや不安、沈黙さえも滲んでいて、
それがやさしく肯定されているように思えた。
湖は問いかけないし、答えもしない。
でもそこに立っているだけで、
わたしという存在が「ある」と、教えてくれる。
風景の一部としてのわたしじゃなくて、
心のかたちが、そのまま水に浮かび上がってくるような──
問いの形もわからないまま、
ただ静かに映っている「わたし」が、
たしかにそこに在った。
心が揺れているとき、水面はそれを映し返す
湖の水は、静かなようでいて、
わたしの心の揺れに呼応するように
そっと波紋を描くことがある。
──不思議なもの。
風がないのに、揺れて見えるのは、
もしかすると、わたしの内側が動いているからかもしれない。
怒りや不安、焦りや迷い──
そういった感情は、言葉よりも先に、
水面のかすかな“ゆらぎ”として現れる。
そしてその揺れを目にすることで、
わたしはようやく、自分の心が揺れていたことに気づくのだ。
水は、嘘をつかない。
ただ映すだけで、何も隠さない。
だからこそ、わたしも自分に正直になれる。
問いを抱えていてもいい。
まだ形にならない感情があってもいい。
湖はそれらすべてを、
“ありのままの姿”として映し返してくれる。
「静けさ」はただの無ではない。心の形が見える場所
わたしは長いあいだ、
「静けさ」を“何もない時間”だと思っていた。
言葉がなくて、音もなくて、
誰も答えてくれない時間──
そんなふうに、空白のように感じていた。
でも、湖のほとりで、
何も言わずにただ水面を眺めていると、
その“静けさ”が、決して空ではないと気づく。
むしろ、心の形がいちばんよく見えるのは、静けさの中だった。
騒がしい日常の中では気づけなかった感情や、
抑えていた願い、すり減った優しさ。
そういうものが、水面のようにすこしずつ現れてくる。
「無音」は、聴こえないのではなく、
“聴くための空間”なのだと、静けさが教えてくれる。
問いがあるからこそ、わたしは湖に立つ。
そして静けさの中に、自分の輪郭を見つける。
湖に問いを投げかけると、光で返される
言葉にならない問いがあるとき、
わたしは湖のほとりに立ち、
その静けさに向かって、そっと心の声を投げる。
「わたしは、どこへ向かっているのだろう」
「この選択で、よかったのだろうか」
そんな問いを声にせず、ただ胸の奥に浮かべたまま──。
そして、湖に目を向けると、
水面に反射した月の光や星のきらめきが、
ふわりと揺れながら、わたしに返ってくる。
それは言葉ではない。
けれど、たしかに応えてくれていると感じる。
問いを投げた場所から、光が返ってくる。
それだけで、
「まだ歩いていい」と思えるようになる。
湖の答えは、沈黙と揺らぎと光でできていて、
それが問いに形を与えてくれるのだと思う。
問い続けることが、
こんなにも美しい行為だったなんて──
水の光に教えられる夜が、わたしには何度もあった。
水とわたしは、問いを媒介にしてつながっている
水は、いつも静かにそこにあって──
わたしの問いを、まるで受け取ってくれているかのようだった。
答えを返してくれるわけじゃないのに、
なぜか“つながった”という感覚が残る。
もしかすると、
わたしと水を結ぶものは「問い」そのものなのかもしれない。
問いがなければ、
水面をただの風景として見過ごしてしまう。
でも問いを抱えているとき、
水は心の奥のほうまで、すっと届いてくる。
問いとは、内側と外側を結ぶ細い糸。
その糸がふと、水の静けさに触れるとき、
世界とわたしの境界線が、すこしだけ溶ける。
わたしの中にある“名づけられない揺らぎ”を、
湖は水面という姿で、
静かに引き受けてくれていた。
問いを媒介に、
水と心がそっと手を結ぶ。
その瞬間のことを、わたしはずっと忘れずにいたい。
月光の筋が、水面をゆっくり撫でる夜
夜の湖は、まるで呼吸をしているようだった。
風のない水面に、
月の光が静かに筋を描きながら、
すこしずつ──ほんとうにすこしずつ、わたしの心にも触れてくる。
その光は強くない。
けれど、強くないからこそ、やさしく深く染みわたる。
湖面のゆらぎに乗って、
月光がわたしの問いのかたちをなぞっていくような気がした。
「だいじょうぶ」とも言わない、
「間違っていない」とも言わない。
ただ、問いを包みこむように、そっと撫でてくれるだけ。
わたしは、その光に撫でられながら、
自分の輪郭をすこしずつ取り戻していく。
問いを投げることも、抱えたままでいることも、
全部、この光が「それでいいよ」と照らしてくれる。
月光の筋は、
わたしの沈黙を撫で、
水面のやわらかさと共に、心の奥まで届いていた。
心の波紋と湖の波紋が重なる瞬間
問いを胸に抱えたまま、
しばらく水面を見つめていた。
ふとした瞬間、
どこからか風が吹いて、湖面に小さな波紋が広がる。
そのさざなみを見ているうちに、
わたしの心にも、似たような波紋が生まれていることに気づく。
それは、言葉ではなく、感覚の共鳴。
水と心が同じリズムで揺れているような、
深くて、静かなつながりだった。
問いの形はまだ曖昧なまま。
でも、その曖昧さごと、
湖は受け入れてくれていた。
心の波紋と湖の波紋が重なったとき、
わたしは「いま、ここに在る」ということを、
強くもなく、弱くもなく、ただ実感できた。
それだけで十分だった。
問いに答えはなくても、
こうして「揺らぎ」が世界と重なった夜は、
忘れられない灯のように、わたしの中に残っていく。