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「もっと自分を好きにならなきゃ」って、少し疲れた
「自分をもっと好きになろう」「自信を持とう」──
そんな言葉に、励まされたこともある。でも、時にはその言葉が、プレッシャーに感じてしまう夜もある。
好きになれない自分を、どうにか肯定しようとするたびに、余計に「できてない自分」が浮き彫りになる。
どれだけ努力しても、「これじゃまだ足りない」と心の奥がつぶやく。
それって、本当に前向きなのだろうか。
もしかしたら今、必要なのは「好きになること」より、「そのままでいてもいいと思えること」かもしれない。
肯定しようとするほど、否定が増えていく paradox
「自己肯定感を高めよう」とすればするほど、「いまの自分じゃ足りない」という前提に縛られてしまう。
「肯定しなければ」という行為は、「いまは肯定できていない」という自己否定を無意識に強化してしまうのだ。
本来、自己肯定感は努力して得るものではなく、自然に芽生える安心感に近い。
でも私たちは、評価されないと不安になり、認められないと自分の価値がないように感じてしまう。
このparadox(逆説)を越えるには、「無理に好きになる必要はない」と、自分に許可を出してあげることが、はじまりになる。
「好きになる」と「そのままを認める」は別の行為
自己肯定=自分を好きになることとよく言われるけれど、
ほんとうは、「好きかどうか」と「受け入れるかどうか」は別の話。
たとえば、雨が好きじゃなくても「今日は雨なんだな」と思えるように、
「いまの自分、あんまり好きじゃないな」と思っていても、「それでもいい」と思えることがある。
無理にポジティブにならなくてもいい。
マイナスをゼロに戻すような、静かな営みの中にこそ、本当の「受容感」は宿る。
頑張れない日こそ、受容感が必要になる
人は、調子がいいときは自然に前向きになれる。
でも、落ち込んだとき、何もできないときこそ、「その自分を責めないこと」が大切になる。
頑張れない日は、「自分がダメだから」ではなく、「休む必要があるから」かもしれない。
そんなふうに、状態をそのまま見つめてあげるだけでも、心はふっと緩む。
「今日のわたしは、今日のわたしでいい」
そんな一言を、自分にかけてあげられるようになると、生きやすさは少しずつ変わっていく。
評価軸を手放して、存在だけを抱きしめる
「できた/できなかった」「褒められた/失敗した」──
そういった評価を基準にしていると、自分の価値も日々揺らいでしまう。
たとえば、今日はうまくいったから価値がある。明日は何もできなかったから、価値がない。そんなふうに。
けれど本来、わたしたちの存在には、条件なんていらない。
誰かに認められても、何もできなくても、ただ生きているというだけで、価値はちゃんとある。
「評価される自分」ではなく、「そのままの自分」を、まず自分自身が受け止めてあげること。
それは、自己肯定感とはまた違う、静かな祝福のような感覚だ。
「できてないわたし」も、「歩いているわたし」も
誰だって、毎日完璧には生きられない。
疲れたり、落ち込んだり、何もしたくなくなったり。
そんな日も、たくさんある。
「またできなかった」
「どうせ自分なんて」
──そんなふうに責めてしまう日があるなら、思い出してほしい。
できていないのではなく、止まりながらも、歩いているのだということを。
歩幅が小さくても、立ち止まっても、後ろを振り返っても、それでも、前に向かっている。
そんな自分を、まずは自分がいちばん近くで見守ってあげよう。
結び|自分を愛せなくてもいい。まずは、そっと許すことから
「自分を好きになれない」と悩んでいる人に、無理に「愛して」と言う必要はない。
「好きじゃないままでもいいよ」と伝えてあげてほしい。
愛せなくてもいい。自信がなくてもいい。
でも、そのままでも、生きていていいという感覚だけは、忘れずにいてほしい。
それが、「自己受容感」という名のやさしさ。
世界がくれないなら、まずは自分から、自分に──
そっと、許すことから始めよう。







