──言葉にならない懐かしさが、頬を撫でてゆくとき
風が吹いたとき、
わたしはたびたび「何かを思い出しそうになる」。
それが具体的な記憶なのか、
感情のかけらなのかさえ、うまく言葉にできない。
けれど、風が頬をかすめた瞬間、
なぜだか胸の奥がじんわりとあたたかくなる。
まるで、どこか遠い場所から、
忘れていた気配が、ふいに戻ってきたような──
風には、目に見えない“記憶”が宿っている。
そしてその記憶は、わたしという存在の輪郭を、音もなくなぞってくる。
目次
🍃なぜ、風が吹くと「何か」を思い出すのか?
突然吹き抜けた風に、
ふと、胸がきゅっとなる瞬間がある。
誰かの声だったかもしれない。
あの日の夕暮れかもしれない。
何も思い出せないのに、
たしかに“何か”が触れていったと感じるのだ。
──なぜ、風はそんなふうに、
わたしたちの「記憶」に触れてくるのだろう?
わたしは思う。
風には、言葉にできなかった時間たちが宿っている。
それは、悲しみがまだ涙になる前の温度。
愛しさが声に出なかった夜の気配。
“記憶”とは、出来事よりも感情の方が深く残る。
そして風は、その感情の揺れをそっと撫でてくる存在なのだ。
わたしが風に懐かしさを感じるのは、
忘れていた「わたし自身のかけら」と
再会しているのかもしれない。
🍃記憶は「出来事」ではなく「空気」として残る
「思い出せないけど、懐かしい」──
そんな感覚に、心がふいに満たされることがある。
それは、出来事としての記憶ではなく、
その場に流れていた“空気”のようなもの。
部屋の匂い、誰かの沈黙、
まわりの光のやわらかさ──
そして、あのとき吹いていた風。
記憶とは、必ずしも時系列では語れない。
感情と感覚の重なりによって、心の奥に沈んでいくもの。
そして風は、その奥深くに沈んだ層を、
そっと撫でて浮かび上がらせてくれる。
まるで、何気ない一瞬に「もうひとつの時間」が重なって、
今ここにいないはずの誰かと、
ふいにすれ違うような感覚。
わたしはその瞬間、
言葉にはならないけれど、
「大切な何か」に触れていたと、確かに感じる。
🍃頬を撫でる風に宿る、誰かの言葉
ふいに吹いた風が、頬をそっと撫でていったとき。
わたしは、そのやさしさに触れて──
なぜか「誰かの言葉」を思い出す。
「大丈夫」
「よくここまで来たね」
「そのままで、いいんだよ」
──そんな声を、実際に聞いたわけではない。
でも、風のやわらかさが、
まるでその言葉たちの“記憶のかけら”を運んできたように思えるのだ。
言葉は消えても、感情は残る。
そして、感情は風と共に、
わたしの中で何度もよみがえる。
それは、目に見えない“対話”のようなもの。
わたしと、過去と、どこかの誰かとの、静かな再会。
頬に触れる一瞬が、
問いを抱えた心に、そっと寄り添ってくれる。
そんな風の記憶に、わたしは何度も救われてきた。
🍃「風の記憶」は、音や光よりも深く届く
音楽や言葉は、わたしの心を揺らしてくれる。
光や風景は、目に映る世界をあたたかく染めてくれる。
けれど──
ときに、それらを超えて深く届くものがある。
それが「風の記憶」だと思う。
風はかたちを持たない。
声もないし、姿もない。
それでも、その流れの中に宿る“気配”は、
わたしの中の、いちばん深い場所にふれてくる。
それは、記憶の奥にしまってあった感情を、
そっと呼び覚ますような触れ方。
言葉では届かなかった部分。
光では照らせなかった陰影。
そこに、風だけがやさしく入り込んでくれる。
問いの種が、ふと芽吹くのも、
そんな風の通り道に包まれているときだった。
だからわたしは、静かな日こそ風を待つ。
わたしの中の記憶が、
もう一度、やさしくほどけていくのを信じながら。
🍃霊性とは、風のようなもの──捉えられない優しさ
霊性って、何だろう──
その問いを、わたしはずっと言葉にできずにいた。
知識でもない。
信仰の型でもない。
「こう感じれば霊的だ」と決められるものでもない。
でもある日、
頬を撫でた風が、ふと教えてくれた。
霊性とは、きっと風のようなもの。
捉えようとすればすり抜けて、
測ろうとすれば遠ざかっていく。
けれど、たしかに存在していて、
わたしの輪郭を、そっとなぞってくる。
言葉にはならないけれど、
「そこにある」と感じること。
誰かに見せるためじゃなく、
自分の奥に、ひっそり灯る感受の火種。
問いに答えが出ない夜も、
その火種が静かに揺れてくれていれば、
わたしは歩いていける。
霊性とは、捉えるものではなく、
“ともに在る”ものなのかもしれない。
風と同じように、ただ静かに寄り添ってくれる存在として──
🍃過去のわたしが風とともに囁いていた
風が吹いたとき、
わたしの中にある“過去のわたし”が、
そっと耳元で囁いてくることがある。
「ちゃんと生きてたよ」
「泣いてばかりだったけど、それでも歩いてた」
「いまのあなたなら、きっと分かってくれる──」
過去の出来事そのものではなく、
そのときの“わたしの感情”だけが、
風に乗ってやってくる。
問いを投げかけていたのは、
過去のわたしだったのかもしれない。
そして今、それに耳を傾けられるのが、
現在のわたし──
時間を超えた問いと応答。
それは誰にも見えない、でもたしかな「対話」だった。
風は記憶の翻訳者であり、
わたし自身との再会の媒介でもある。
そしてわたしは、風の中で
過去のわたしと静かに頷き合いながら、
またひとつ、次の問いを抱えて歩き出していく。
🍃問いを風に託して、今日も歩いてゆく
すぐに答えが出る問いばかりじゃない。
むしろ、ずっと抱えたまま、
答えのないままで歩いていく問いの方が多い。
けれど、そんな問いを抱いたままでも、
わたしは風の中に立つと、
「それでいい」と思えるようになる。
風は答えをくれない。
でも、その通り道にわたしの問いを乗せて、
どこかへ運んでくれるような気がする。
問いはまだ言葉にならなくてもいい。
焦って手放さなくてもいい。
ただ、風に託してみるだけで──
わたしの中に、少しだけ空白が生まれる。
そしてその空白が、
次の一歩をやさしく照らしてくれる。
問いを抱えたままの歩みこそが、
わたしという存在の「呼吸」なのだと思う。
今日も、問いは風とともに──
静かにわたしの背を押しながら、
まだ見ぬ明日へと、歩かせてくれる。