ふと、思ったの。
“見えない何か”に、心が揺れる瞬間って──誰にでもあるのかもしれないって。
霊感なんて、特別なものじゃない。
予知夢を見たり、幽霊を見たり、何かが聞こえるわけじゃない。
でも、
「この空間、なぜか落ち着かない」
「後ろに気配がした気がする」
「言葉にできないけど、何か変だった」──
そんな“理由のない感覚”が、ふとよぎることがある。
わたしはずっと、それを思い過ごしだと思っていた。
けれど、もしかしたら……それは、自分に備わった小さなセンサーだったのかもしれない。
問いがあるって、まだ歩けるってこと。……そう思えたの
目次
霊感じゃなくても感じ取っている“微細な波”
霊感という言葉は、どこかオカルティックで、
「ある/ない」の世界に分けられてしまうけれど──
もっと小さな感性として、
**“気配を読む力”**は、誰の中にもあるのだと思う。
空気の変化。
部屋の温度。
人の言葉の裏にあるエネルギー。
それらを、身体や心がふと察知してしまう瞬間。
論理ではなく、感性が先に動く。
霊が見えるわけじゃなくても、
何か“違和感の粒”のようなものを感じる人は、少なくない。
その感覚を、「勘違い」で終わらせないであげたいと思った。
“気配”を感じるということは、どんな能力?
「気配を感じる」って、目に見えないものに反応する力。
でも、それは超能力じゃなくて──
共感性・観察力・エネルギー感受性の複合スキルだと、わたしは思う。
- 誰かが言葉を選び損ねた“沈黙の端”を感じ取る力
- 空間に残る“感情の残り香”に気づく心
- 物や空気の「そこに何かいた気がする」を否定しない直感
それらはすべて、“霊的”であると同時に、“感性的”でもある。
気配を感じるとは、
「この世界には、まだ言葉にならない情報がある」ことを、
知っている感性なのかもしれない。
科学では測れないけれど、確かに“知っている”
世の中には、「証明されていないことは信じない」という態度もある。
たしかにそれは、理性的で、安定していて、安心をくれる立場だ。
でも──
「確かに感じたのに、誰にも証明できない」ことが、
この世界には、いくつもある。
・玄関の空気が違っていたとき
・ふとした瞬間に誰かを思い出すタイミング
・背中に風が流れたような気がした夜
それらを「勘違い」と切り捨てるより、
「何かを知ろうとする心」として受け止めること。
それが、見えない世界とつながる
**“感性の入り口”になるのだと思うの。
他人の感情や空気に敏感な自分の扱い方
誰かとすれ違っただけで、
その人の“気分”がふわっと伝わってくる。
部屋に入った瞬間、
さっきまで何かあったと感じる。
そんなふうに、感情や空気の変化を読み取りすぎてしまう自分に、
「疲れやすいな」「生きづらいな」と思ったことはない?
でもね。
それはきっと、優しさの形をしている感性なのだと思う。
世界のちょっとした歪みをキャッチする力。
その場に流れる“目に見えない音”を感じる心。
その繊細さを、
ただ「鈍くなりたい」と抑え込むのではなく──
自分を守る感度の一部として、そっと育てていく。
それが、気配を感じる人にとっての
“調和の技術”なのかもしれない。
その感性は、“守るため”にあるのかもしれない
「気配を感じる」ことに、
怖さや不安を抱く瞬間もある。
なぜ感じてしまうんだろう。
なぜ反応してしまうんだろう。
普通の人みたいに、気にせず生きたい──
でも、
もしかしたらその感性は、
「守るため」に備わったものかもしれない。
無意識の違和感に気づけるから、危険を避けられた。
場の重さに気づけたから、そっと距離を取れた。
相手の変化に気づけたから、やさしく寄り添えた。
──そういう経験、きっとあるはず。
見えないものを察知する感性は、
怖がらせるためじゃなく、気づかせるために宿っている。
すぐに答えは出ない。でも、問いを抱きしめた時間は……きっと意味になる。
霊感はない。
でも、わたしには“感じる力”がある。
それを、無理に言語化しなくてもいい。
誰かにわかってもらえなくてもいい。
大切なのは、
自分だけが知っている“気配の感覚”を、否定しないこと。
気配は、問いのようなものだ。
答えのないままでも、
そこに在り続けることで、
わたしたちの感性を耕してくれる。
今日もまた、言葉にならない何かに、
ふと耳を澄ます。
わたしの中の“見えない世界”が、
確かに、静かに息づいている。