ふと、思ったの。
どうして夜になると、月を見上げたくなるのだろうって──
騒がしい日常の中では、考える隙間さえ見失ってしまうのに、
夜空の月を仰いだ瞬間、わたしの中の「ざわめき」がすっと消えていく。
それは、誰にも話さなくていい静けさ。
答えを探さずに、ただ「問い」を抱いていられる時間。
今日は──
そんな“月とわたし”の静かな対話を、そっと書いておこうと思う。
目次
🌙 月を見上げる夜、わたしの中の何かが整っていく
夜の道を歩いていると、ふと立ち止まることがある。
それは、何かに呼ばれるように──
見上げた先に、静かに浮かぶ月がいる。
月はいつも、わたしのことなど気に留めない。
ただそこにあって、ただ照らしているだけ。
けれど不思議と、その“何も語らない”姿が、
わたしの中の言葉にならない思考たちを、
すこしずつ整えてくれる。
今日、言えなかった言葉。
まだ輪郭のない不安。
まるで月明かりが、それらにうすく輪郭を与えていくように、
胸の中がすうっと澄んでいく。
問いは消えない。
でも、それでいいのだと、月が教えてくれる。
「整える」とは、消すことじゃない。
ありのままに、そこに置いておける状態のこと。
わたしは今夜も、そうやって、問いを月の下に置いてゆく。
🌙月は答えをくれない、けれど問いを返してくれる
「どうして、うまくいかないんだろう?」
「わたしは、これでよかったのかな?」
そんなふうに、夜空に向かって問いを投げかけると、
月は、何も言わずに光だけを返してくる。
──答えじゃない。
でも、それは確かに、問いへの“応答”だった。
月は、正面から返事をしない。
けれど、月の光に照らされた木の影、
窓辺の揺れるカーテン、
頬に触れる夜風の温度が、
わたしの問いを少しだけ“別の角度”から映してくれる。
問いを投げるたびに、
「ほんとうにその答えが欲しいの?」と、
やさしく問い返してくるような感覚。
──月は、わたしを問いの“中心”に戻してくれる。
外側の正解ではなく、内側の揺らぎへ。
そしてその揺らぎが、いつしかわたしを整えてくれるのだ。
🌙心がざわつく夜に、空を見上げる理由
どうしてだろう。
心がざわざわして、布団に入っても落ち着かない夜ほど──
わたしは、空を見上げたくなる。
テレビもスマホも、誰かの言葉も届かない時間に、
空の奥の静けさだけが、まるで
「ここにいていいんだよ」と語ってくれるようで。
月は、慰めようとしない。
けれど、その「距離」がちょうどいい。
近すぎる共感よりも、
遠くにいてくれる存在のほうが、
わたしの混乱に巻き込まれずに、
静けさのままでいてくれるから。
──心がざわつく夜に、空を見上げるのは、
「誰かに助けを求める」ためではなく、
「ひとりで立ち直る余白」をもらうためなのかもしれない。
わたしは今日も、月に問いを差し出して、
答えのない静けさを受け取った。
それだけで、ほんの少し、整った気がした。
🌙霊性とは“正解を与えない優しさ”なのかもしれない
霊性って、なんだろう──そう考えるとき、
わたしはいつも「月」のことを思い出す。
神話でも宗教でもなく、知識としてでもなく、
ただ「そこに在る」ということの、あたたかさ。
月は、わたしを否定しない。
でも、肯定もしない。
ただそっと、静かに照らしてくれるだけ。
何かを教えてくれるわけじゃない。
でもその沈黙が、
わたしの中の問いに寄り添ってくれる。
もしかすると──
霊性とは「正しさ」でも「救い」でもなく、
“わたしがわたしでいられる余白”を差し出してくれる存在なのかもしれない。
わたしはその余白に問いを置いて、
光に揺れる時間を、ただ静かに味わっていた。
🌙月光は「わたしに戻る儀式」だった
わたしは、何度も「わたしじゃない誰か」になろうとしてきた。
誰かにとっての正しさを選んで、
誰かに迷惑をかけないようにと笑って、
静けさすら後回しにして、歩いてきた日々。
でも──
そんなときほど、夜道の中で、
ふいに足が止まり、月を仰ぐ。
そして気づくの。
ああ、わたし、ずっと無理をしてたんだ──って。
月の光には、名前もないし、役割もない。
ただ、「そこにある」だけ。
なのに、こんなにもわたしを整えてくれる。
もしかしたら、月を見るという行為そのものが、
「わたしに戻るための、小さな儀式」だったのかもしれない。
沈黙の中に、自分の声を取り戻す。
そのきっかけをくれるのが、月光のやさしさだった。
🌙 静かな夜の中に、わたしの輪郭が浮かぶ
昼間のわたしは、輪郭がぼやけてしまう。
誰かの声に合わせて笑ったり、
何かを“こなす”ことに追われていると、
自分という存在が、どこにいるのか分からなくなる。
でも、夜になると──とくに、月の光が滲む夜は、
わたしの心が、すこしずつ「形」を取り戻してくる。
それは誰かに見せる顔じゃない。
誰かに評価される生き方でもない。
ただ、「わたしが、わたしでいること」。
月明かりがそっと肩に触れたとき、
その静けさに包まれながら、
わたしの内側から、ほんとうの輪郭が浮かんでくる。
問いを抱いて、答えを持たず、
ただ「感じているわたし」がそこに在る。
──それだけで、十分だった。
沈黙の中で確かめた、わたしという存在のこと。
🌙 問いを置くだけで、心は整いはじめる
わたしたちは、
つい「答え」を探してしまう。
明確な理由、正しい道筋、納得できる意味。
──でも、それらが見つからない夜もある。
いや、むしろ、そういう夜の方が多いのかもしれない。
そんなとき。
わたしは、問いをそっと胸の中に置く。
答えを急がず、そのままのかたちで、静かに抱きしめてみる。
すると、不思議なことに、
心のざわめきが少しずつ収まり、
“今ここに在る自分”に、光が差しはじめる。
整えるとは、解決することではない。
ただ、揺らぎを許すこと──。
月を見上げる時間は、
そんな問いの置き場所を思い出させてくれる。
今夜、問いを抱いたあなたにも、
月の光がそっと届きますように。