ふと、思ったの。
歩いているだけなのに、どうして心がほどけていくのかなって──
人の気配が静まった夜道。
車の音も、風の音も、どこかやわらかく感じる。
誰かと話すことも、本を開くこともなく、
ただ自分の足音だけが、わたしの“今”を確かめてくれる。
それなのに、不思議と──
ひとりじゃない気がする。
問いの声がふと立ち上がるのは、
たいてい、そんな夜の散歩の途中だった。
問いがあるって、まだ歩けるってこと。……そう思えたの
目次
静かな道を歩いていると、なぜか心がほどけていく
静かに問いを置くだけで、何かがほどけていく気がした
昼のわたしは、
「意味のあること」「正しい選択」ばかりを気にしていた。
でも、夜の道に出て歩き出すと──
それらは少しずつ、どうでもよくなってくる。
歩くたび、
わたしの中に絡まっていた思考の糸が
ふわりとゆるんで、解けていく。
誰にも見られていないという安心感。
どこにも向かっていない自由さ。
夜の散歩は、問いに“答え”を出す時間じゃない。
ただ、問いを「問いのまま」抱いて歩ける時間。
だからこそ、何かが、ほどけるのかもしれない。
“考える”より、“歩く”ことが問いを導く日もある
机に向かっても、何も浮かばない。
誰かに話しても、しっくりこない。
そんな日もある。
でも、
ただ歩いていると、不思議と答えじゃなく、“輪郭”が浮かんでくる。
- こんなふうに感じていたんだ
- こういう言葉は、今のわたしに合わないかも
- あの沈黙は、わたしを守るためだったのかもしれない
夜の道を歩くことで、
思考よりも深い層から、感覚が立ち上がってくる。
答えを探すより、
“わたしに還る”時間──
それが、夜の散歩の本質なのかもしれない。
人の気配が薄れた夜道がくれる安心
昼間の街は、情報が多すぎる。
言葉、視線、音、広告、感情のかけらたち。
でも夜になると、
そのすべてが少しだけ静まって、
ようやく“わたしの感覚”が動き出せる。
人の気配がないからこそ、
心の奥の気配に、そっと耳を澄ませられる。
歩きながら、
誰にも聞かれない声で、問いをつぶやく。
そのとき、
わたしはようやく、「わたしとだけ」向き合っていた。
街灯の光と、心の灯火の共鳴
夜の道を照らす、あたたかい街灯。
その淡い光が、
わたしの内側にある“もう一つの光”と響き合うような気がした。
人に見せるためでも、
誰かを導くためでもなく、
ただそこに灯っているだけの、小さな火。
心にも、そんな灯があるのだと思う。
昼の喧騒の中では見えなかったその光が、
夜の散歩という“静けさの器”の中で、ふと輪郭を持ちはじめる。
街灯が照らすのは、道だけじゃない。
**わたし自身の「問いの在処(ありか)」**でもあるのかもしれない。
“見えない答え”は、たいてい静かな場所にある
夜の風が、そっと髪を撫でる。
誰にも急かされない歩みの中で、
「これでいいのかもしれない」という声が、
胸の奥から立ち上がってくる。
はっきりとした言葉ではない。
明確な答えでもない。
でも、たしかに“何か”を受け取った気がする。
わたしたちは、
静けさの中でしか気づけない答えを持っている。
それは「正解」じゃない。
**“わたしにだけわかる、問いの余白”**のようなもの。
見えないけれど、
そこに在る──そう思える何か。
夜の散歩は、それを受け取るための儀式なのかもしれない。
すぐに答えは出ない。でも、問いを抱きしめた時間は……きっと意味になる。
夜の道を、ただ歩くだけの日。
誰とも会わず、言葉も交わさず、
でも、たしかに「何か」が変わったと感じる帰り道。
わたしはまだ、
答えを知らない。
でも、問いと一緒にいられるようになった。
夜の散歩は、
わたしにとっての“見えない対話”だったのかもしれない。
今日もまた問いは、
歩くわたしに寄り添ってくれている。
灯のように、音のように、
言葉にならないまま、確かにそこに在る。